2018年11月7日水曜日

家族は昔から多かった

家族は昔は多かった

h1.5.2(火)
家族は昔から多かった。
今は少なくなった。
世代の間に独身も増えた。
三世代もあった。
祖父母から孫まで。だんだん減った。
家族は地縁を失った。
稼ぎに行った。
家族は分散してしまった。
音信も減った。
手紙も減った。
電話で済ます。(ことになった)
文章の(本急に)緊密でないようになった。
報告も減った。
そしてだんだん地縁が薄くなった。

社会問題は変化してしまった。
愛情よりは金が求められるようになった。


①老後に備えるか、バカンスに使うかフランスではいろいろ考えている。
②家族は幸福の場所である
ディスカルダント大統領
③独身者でも家族から出て来た

家族構成員

沖縄の昆布料理

沖縄の昆布料理


    H3.9.8(日)
まみちゃんから利子に渡された新聞記事から

沖縄の料理には、昆布(コンブ)欠かせない。
足てぃびちぃ、ソーキ汁、血イリチャーなど、庶民の料理には必須の材料だ。
統計によると、沖縄県民の昆布の一人あたりの消費は、富山とならび日本一である。
昆布の生産されない沖縄でなぜ北海道の昆布が、食文化として育ったのか。
大石圭一さんの「昆布のみち」(第一書房)によると、沖縄と昆布の関係は、琉球国(沖縄)が清国(中国)と行なっていた朝献貿易に江戸時代の末期、薩摩藩が昆布を持ち込んだことに始まるという。
琉球国を通じて昆布は清国に朝貢され、代わりに製薬原料や唐物が北陸路に運ばれた。
この昆布貿易から北海道から沖縄への「昆布の道」ができ、食文化の素地となった。多くの「道」もこのように人の往来と物流の中で生まれてきた。交通、通信手段の発達した今日、その広がりは地球的である。


2018年6月27日水曜日

血縁集団=


S62.9.15
血縁集団=血族関係にもとづいて成立した社会集団。
最も一般的なものは家族で、姻族を含めることもあるが、氏族や系族などの血縁集団は姻族を排除している。
  いんせき  広辞苑 一八四頁
姻戚=結婚してできた親戚。配偶者の血族。すなわち夫からみて妻の父母兄弟の類。民法は三親等内の姻族を親族としている。姻戚。

しぞく 広辞苑 一〇五八頁
氏族 共通の祖先を持つことによって連帯感をもつ人々の集団。
一般に父系または母系のどちらか一方の血族関係をたどって、出生と同時に帰属が決定される。
社会生活上の基本的な帰属原理の一。

氏族制度 氏族を構成単位とする社会制度。
氏族集団への帰属によって、居住、協力関係・婚姻・財産相続。地位継承などの基本的な社会関係が規制を受けるような社会体制。わが国でも中国・朝鮮の影響を受けて、これに類似した制度が一部の支配層に見られたが、本格的な氏族に根ざしたものではない。

ビデオカメラ求む

h6・10・16(日)
昨年あたりから利子はビデオカメラを求めたいと言っていた。
私もうなずき、やっぱり欲しいと思っていた。

私達、昭和九年生まれの竹富小学校の同級会を石垣で催すことになり、その席で東京在住の同級達は「御前風(ぐじんふう)」と「八重山の四季」を披露したいと去った二日の日曜日に練習をした。
そこで私はビデオカメラに撮って練習をしたいと思い利子と話しをしていたら、利子は大賛成のようである。
昨夜の話しで求めたいと話がほぼまとまった。そこで今朝は利子と二人でいさみ屋へ行って求めた。一五万二千円、月賦で求めた。

善嗣に説明書と読んでもらい、試写できるようにして、同級会の踊り練習へと持っていったが、今日は休会であったようで私の初写しはできなかったが、家へ帰って善嗣が初撮りをやった。
思ったより以上に良いようだ。

体調不安

1994,h6.10.16 日
週の前半、体調がよく感じられなかった。体がだるく、不安を覚えていた。
無気力であった。
幸い仕事の量は軽く、一日一便の一回配達であったので、寝ることを多くした。
然し、体力増進としたいと思い、世田谷公園歩きも久しぶりに実行した。
近頃缶ビール二本を飲んだのを一本に減らし、睡眠を多くとるように心掛けた。
金曜日には三時頃帰宅したので四時前には夕寝をしてこ。
三時間は寝た。体調もだいぶ回復している。
十時頃、世田谷公園を歩いた。
昨日土曜日も早く帰宅したので夕寝そして公園歩き。体調はだいぶ回復した感があり、体調不安が解消された感がある。
 利子も大部体調は不調のようである。
昨日、今日とこの二日間殆んど日中も寝ている。
この休息で月曜日の明日から体調は軽くなることでしょう。

経済

41.12.22
溜池から麻布にのぼってきた?の高速通路

PC桁大型ブロック工法
発注 首都高速道路公団
施工 鉄建建設

高速道路としての橋渡しは出来上がっているが、またその上に桁を渡してある。
その方法をPC桁大型ブロック工法というのではないか。
桁下の工法はフレシネー工法を書いてある。

民謡

〇民謡は生活の中から生まれたもの
〇民の意識をまとめた史実の伝承である
〇昔の流行歌である。消えた曲は五万とある。残ったものが歌い継がれてきた。(マラソンを続けている)
〇喜怒哀楽にいまだに残っているメロディーである。
外来竹富流の民謡と古典保存をやりながら楽しさも取り入れて進めて行く会、集いになればと念ずるものである。

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                    ヤマトゥー
唐の国(中国)は傘のように広く。大和(日本国)は馬のつめのように。琉球は針の如くと例えたら竹富は分子のように小さい。だけど人間一人の重さは地球より重い。そのような気分に燃える竹富人は珊瑚礁の一粉の砂のようである。

54.4.4 水 薄曇

54.4.4 水 薄曇
名前のこと 名前の先生 中川良祐 
※中川りょうすけ 名前の先生 

寄る年波高く 
54.4.5 木 曇り
叔母歓迎
4月1日埼玉県坂戸の和俊の所に居る叔母から電話があった。
八重山へ帰る前に逢いたいとのことである。
私とあつ子の二人で埼玉へ出かける。
12時頃出かけて4時近くになって到着。
そして世田谷の我が家へ連れてくる。一晩家族で話し合う。利子の母も話に来る。一晩泊まって翌日は雨の日を太子堂の叔母が迎えにきて月曜日は太子堂で泊まる。火曜日には我が家の家族四人で渋谷の高層ビル東邦生命ビルへ夕方7時頃登って夕食(30階)ピノキオで夜景を楽しみ7時半頃出発。埼玉へ出発9時頃(川越通で)着く。12時に帰宅。

4月4日
日立山野さんより40万円借用
夕食後8時過ぎサンケイリビング配達後と利子と二人で散歩。
隣近所と仲良く暮らす条件
お互いに声かけ合うことかけられたら快く返事する
多人の悪口は絶対に言わない。

54.4.5
女性は科学する心弱い
電気煮え機械センター全わし

虫やゴキブリに非常に弱い

機動力が弱い
自動車

外聞く噂に非常に弱い
ぼう力に弱い 力に弱い 犬(番犬)
酒、タバコ、ファッション、ムード、男、きれい事
金、指輪、親切、やさしさ、雨、強い陽差し

※女性の芝山 占いの人
占いの先生
芝山よし子 方角仕事始め

60.3.31 日 瀬戸修宅

60周年記念表彰状作文検討

出席者 瀬戸修、瀬戸克、富本善夫、阿佐伊孫良、上勢頭武、大山康雄、大谷喜久男、花城亨
歴代会長 与那国真智、瀬戸修、棚原真宜、富本善夫、浦底肇、大山康雄、上勢頭武、亀井秀正、
歴代会長婦人、十平役員、経済協力者、芸能関係、上記の人達の表彰状作文。

60.2.2 土 目黒区民センター

出席者  大谷、阿佐伊、東玉盛、亀井(康平)、亀井秀正、富本善夫、大山真功、上勢頭武、瀬戸修、大山康雄、浦底肇、北条まり子、
富本箏子、花城亨、有田静人、大山泰則

(1)
(2)
(3)
(4)
(5)原稿依頼あり、
   1 会員手記、郷友会と私、郷友会に望む
    私が上京した頃、あの日の時。
    
    頼母子1部45,000-受領
    功労者の件、瀬戸氏から報告
    8月12日
    
    歴代会長存命者
    10年以上の役員を続けた人
    

東京竹富郷友会、五反田文化センター

59.10.13

本文は昭和59年の東京竹富郷友会の役員会合のメモです。
①敬老会報告
来年の会についての話し合い

②竹富の世持御嶽 寄附の現状報告

③奉納団(種子取)の件
 日航    48.000
    南西      27.500        太平洋航空のU原さんに依頼
二人以上の沖縄旅行の場合はU原さんに依頼すると安くつく。
新橋03-☆☆1-39☆☆ 太平洋航空
U原―八重山白保の人

④会報第24号発行の件
 60周年記念誌発行の件
 5月を目標期日

部落

部落 血族集団が寄り集まり地縁集団となり部落を形成した。
沖縄の歴史 七、部落時代の生活 十七頁から

部落の形成 農業時代になって耕地に近く定住したのは、最初、貝塚時代からの血族集団であったが、その後、農業の発展、耕地を中心にいくつかの血族集団が寄り集まって一つの部落を形成するようになった。
沖縄の歴史から17頁より
まきよ・門中又は一門
 
血族集団が寄り集まり「まきよ」と呼ばれたが
後世は門中又は一門ともいわれた。                                  沖縄の歴史17頁
根所 一つの部落にはいくつかの門中を包含し、部落全体として根所なるものがある。

根人(ねひと) その部落でもっとも古いその部落草分けの家と信ぜられいる家で、根所の家主が根人となり、その部落共同の祭祀に関する一切のことを処理する。

根神(ねかみ) 根人の姉妹又は娘は部落の神に仕える女、すなわち根神となる。 
沖縄の歴史19頁より

(無題)お嶽(たけ)

クイチャ踊り 解説    上勢頭 亨

H10.12.17木記

この歌は竹富島の婦女子に中山王府へこの人頭税として赤縞上布(あかじまじょうふ)・紺縞上布(こんじまじょうふ)・下布木綿布等を賦課され、その御用布を苦心して織り上げ、期限内に無事完納した嬉しさの余り、蔵元(くらもと)の広い庭に於いて、女頭(ブナジ)(女の役名)はじめ、婦女子が、我を忘れて手の舞、足の踏むところを知らず、円陣をつくって声を合わせて歌い踊ったのが「クイチャ踊り」のはじまりだということである。

恥ずかしながら

演歌は心の歌。各個人の代弁
歌の短編小説。大人の唱歌

恥ずかしながら結ばれる人を求めていた本心がかなってやっと公然と大衆の前で誓える日です。ほんとうの自分の味方が一人できた。
こんな述懐が身に伝わって来ることでしょう。
食銭結婚でなくみちづれとしての相棒と契が出来たことはほんとうに嬉しいことです。この気持ちを永久に忘れずに今日から実行していく行動が結婚生活です。
自分の願望は半分に減らし、女房に譲る。女性も自分の我を捨てて一致協力するこれが結婚という儀式なんです。そのような心掛けの始まりの日。これが結婚記念日です。
新しい努力の始まりの日です。

草深い田舎の情景に涙する老境の父母。

愛する相手がいる。ということ、これがいかに素晴らしいことがいつか知ってくれると思う。

うそ寒いのが嫌で・・・
ジャケットの裏作りが何となくいい感じです。

(無題)琉球列島の

※無題のため書き出しをタイトルとした
琉球列島の西南端にある与那国島は、正確には、北緯二四度二八分、
東経一二二度五五分のいちにあって、八重山諸島に属し、西表島の西方、四三浬にある。
台湾の東方わずかに四〇浬の洋上に浮き上がっている孤島である。
太平洋と東志那海とを画する一石にもなっている。
一九〇三年、明治政府に依って行われた測量によると、島の周囲の距離は二七、四九一キロメートル、面積は三〇、九〇九平方キロメートルとなっている。

他金殿(タキドゥン)

竹富島の先住民は恐らく二千数百年前に北進して来た南方系の人々であったことが推測されている。
(山城善三・上勢頭亨編『竹富島』)

 西暦一二七〇年頃、今から七一八年前(平成三年)、竹富島に他金殿という酋長が沖縄本島から氏子集団で初めて渡来し、島の北端に位置する北岬の東方磯な口(一名イシャーグチ)付近に新里組(村)を創建して、そこに「花城井戸(ハナクンガー)」を掘り当てよき飲料水に恵まれたのでそこを生活の根拠とした。
 そこからニ、三十年後になって六酋長時代を迎えた。六か村の土地の配分を希望せず、海の配分を多くした。島の東部「卯・辰・巳・午」の広域な海岸の配分を受けた。そこで自分の領地を守るため新里村を東海岸に近い花城原へ移転、花城の高城という立派な城を築き、城主に収まった。その城跡は今でも残っている。専ら海を愛し漁業に励んだので海の神と仰がれ尊敬されるようになった。

種子取祭の飯初の用水は決まって花城井戸の水を使用する習わしが最近まで続いた。

竹富島の歴史と民俗36頁 亀井秀一著より

高祖父

平成六年一月十二日・水 NHK TVより
福島県内の話題から
高祖父→曾祖父→祖父→父→末端(5世代目)
高祖母 曾祖母 祖母

高祖      ①祖父の祖父。高祖父
曽孫(ソウソン)  ①孫の子。ひまご ②子孫
祖先      ①その家族を開いた初代の人
        ②その家系の初代から先代までの人々。

第35回沖縄竹富郷友会、親睦大運動会

沖縄竹富郷友会会長
   吉谷質様
 東京竹富郷友会会長 花城 亨


 草木に潤い浸みるウルズン・若夏の候、第35回沖縄竹富郷友会、親睦大運動会開催、おめでとうございます。
 生り島(まりじま)、竹富島出身者の親睦を深めるアウトドア―大会、体に感じる大勢参加は、島の伝統芸能と共に大きな効果をもたらすものと期待するものであります。
 竹富出身者自らの為に、研鑽(けんさん)の場として、自主的参加拡大、持続的運営、そして自信と指標を与える意義深い大会である事を願うものであります。親睦大会を通じて皆様一人一人の健康増進をお祈りして、東京竹富郷友会から拍手喝采をお送り申し上げます。
平成7年5月7日 東京竹富郷友会会長 花城 亨

父の塩炊き時代

昭和二十八年八月十五日、太平洋戦争も終結し、外地で働いていた日本人は、いよいよ故郷へ引き揚げることになった。父は激戦地なった南洋から妻子のいる郷里、竹富島へ帰った。 島は引き揚げの人達で満杯の状態。農地もなく仕事も無く、生活は生死寸前の貧困のどん底であった。何かをしなければ生きてゆけない。でもどうにもならない最低の時期だった。
父は人に先がけ、いろいろなアイディアを見つけだすことがあった。そこで父のかんがえたことが塩炊きの仕事である。石垣島の裏手、伊野田(いのぅだ)に製塩所を建てることになった。当時塩が無くて困っていた事に目をつけたわけである。親戚知人賛同の人達を募って、小さな製塩所で食塩製造の仕事を始めた。
昭和二十二年の秋頃だった。塩炊きの仕事に参加した人は次のメンバーである。  
満州(中国の東北地方)帰りの前我名勉・台湾帰りの稲嶺成秀・台湾帰りの新本実・父の甥(おい)石垣晃・世那国秩。他にもまたいたかも知れないが、私の記憶にある人たちである。精製した塩を売って皆さんに配当したようだ。
伊野田の浜は大浜村白保から数キロ離れた所で、その先は耕作地がなく山林地帯につながっていた。東には太平洋が広がり、白浜と波打ち際の所から、リーフが続いている。潮が引くと二、三十メートルのリーフが現れる。その沖の方には珊瑚礁のリーフが数百メートル先まで続き大海の波がぶつかっている。ゆるい斜面の白浜をのぼりきり、奥へ五、六十メートル入ると、森林の中父達の働く塩炊き小屋があった。石垣島東側の裏海岸、遠く人里離れた辺ぴな所でマラリヤという風土病のあった地区、時折白保の年とった漁師が白い浜辺を歩くぐらいの寂しい所であった。潮騒(海鳴り)と山の木の葉を揺るがす風の音、カラスなどの鳥の声や虫の声、夜になると、ふくろうの淋しい鳴き音が闇の中からきこえてくる。そんな場所に製塩工場は建てられた。

2008.1.26

野羊山羊の背中に最大限に背負って、フース御嶽(オン)であ◇は前豆(マイド)の畑から必死に歩いている。自分の姿を隠す気持ちで山羊の草が歩く位、擬装していたつもりだったが、チャーンと分かっている正元先生は、山羊の草を背負てくるのは亨君だとわかっていた。
あの農道の十字路近くで説諭されていた時代を思い出すものです。竹富国民学校の最初の前新雄三先生からの薫陶の最初の人、国民学校の一年生が感じきった心の時代がありました。二年生の真玉橋安(まだんばしやす)(女)、三年生の東里善昭の愛情も大変嬉しくいまだに心に残っています。四年生の担任の先生も大変に可愛がってくれた。だけど戦中そかいで亡くなった。敗戦◇あとほんとうの力をつけてくれたのが新先生でした。
山羊の草の私を待ちうけて説諭する位私に眼をつけてくれた新先生は、最敬礼しています。
     
      登校拒否
 一番手の者は私ではなかったでしょうか。
ランドセル、いやふろしきつづみを持て門の所迄進んでいると、母親が追っかけてきて
「トウル―、お前が学校へ行くと、今日の家族は死んでしまうよー!と説き進めてくる。
親の云うことを聞かないと生きられないことは理解していたので、クワを持ってシージャーの畑に連行されたり、マイド、フース、日シャールの畠に出かけた。

スル掬い狂言


スルッ掬い狂言は二十五年ぶりに、古老の指導により、昭和五十年の種子取に復活した狂言である。
 この狂言は多少エッチな場面もあるが、竹富島の生活様式をよく描き出し、民族性をおびた爆笑劇として、昔から親しまれてきた。
 出演者、マイチ・ヌベマーは仮の名でその年毎に名前は入れ替わる。
例として村の役職員の奥さんの名が呼ばれるのが習わしである。
 この狂言は、島の古代の性風俗を描いたものであるが従来タブーとされている性については現代も古代も変わりはない。
それが陰湿な形態ではなく極く自然に古代の性風俗が戯曲化して島の風土の中に生きてきた。ということは、他の民俗芸能に類を見ない素晴らしい特異なものと思われる。

父との関係を掘り起こす

不運をずっと通した父
こよなく愛する父
酒好き・お人よし
農業の下手な人、耕すことのコツを知らなかった人、アメリカ人に箸をもたせて日本食をさせるが如し
達筆な文字・ペン字、筆字
九死に一生を得た(フケを飲んで・無線局長船を下りる、下りた船が沈没・石垣の桟橋)
廣沢虎三(私の浪曲起源、浪曲ルート三十石渡し)
登野城幸子
赤ふんどしの南洋踊り、三本の箸
漫画の本を南洋から送ってくれたこと
玉盛村長の父の話
父の若いころに書いた文を読んだ。本の表紙に便箋用紙に書いてあった
ローソクと手のひら
白保を歩く
中学受験に三段跳びはよくないと言った父
父を投げ飛ばす(大峰)
前新将栄の語る父・玉村純博の語る父・宮良寛雄の語る父
10月25(S63年)亡くなったヒゲの小父さんと鹿児島から歩いて上京、タケ小母さんに竹富島へ帰ろうとすすめたことをお通夜の席で話していた
南洋興発
ふかい(裏石垣)での稲刈・マラリヤ蚊を避けるクスリを塗って睡眠をとった(大浜の頃だった)
母の苦労

貯金運動(ちょきんうんどう)

竹富郷友会第73回総会

川崎市婦人会館 武蔵小杉 12~19時
1、盛大であった
2、竹富中学校五十周年記念行事をする。
  その期会会長として嶺本真功と校長先生、島中玲子、
  副公民館長上勢頭保が出席した。
3、今年の秋に東京の第二国立劇場で玻座真の芸能公演の
  アピールで高嶺方祐、亀井康伸達が上京し多いに
  協力をしてくれた。
4、同級会を帰途で自由が丘駅の隣で会した。
  崎山三郎、阿部五郎、花城亨、富野芳江、浦底光子、
  白畑芳子でなんた浜の空席待ちをしているうちに
  嶺本真功がみえた。
  そして空席をさせて合流した。
5、芦垣さんが見に来てくれた。
  何かと交流を深めた。
6、赤嶺先生と話し合い又、練習に出向くことを伝えた。
7、同級会は仲良く楽しく終わらせた。
8、私は初めて議長役を戸惑いながらやった。
9、崎山三郎とちょっとばかり近寄りの気持ちを感じた。
10、同級生との仲は□推していることを確認。
たくさんのメモを取っておきたいことがあるのだが時間的制限である。

職場の推移

一九九八年平成10年五月二九日金

職場も家庭も世間もどんどん移り変わる流転の世界。義父前新昌栄が亡くなった後、再上京して二十年以上経った。
子供たちも成長し孫も大きくなりつつある。
再上京して幸い日立家電系統の配送関係に仕事の場が出来た。

系図座の創設

一六七〇年(尚貞二年)、向象賢が諸士の公式の座席を改定したとき、士に系図を提出するように命じた。それは士の家柄をはっきりさせるためであった。
諸士に各々家譜を編集させ、一部は糸図座に納め、一部は国王の朱印を捺して各家に保管せしめることにした。
首里・那覇・久米村・泊村に共住する士に対して命じたものであった。

家譜は普通に系図を称し、各家の血統と各人の経歴等を記載するもので巻頭にはその家の始祖以来の血統継承を示す世系図を掲げ、本文即ち記録には各人につき、名前、生死、血縁関係、元服(結婚・出産)叙位、士官等の経歴を年月順に記録してある。

宮古・八重山はおくれて一七二九年(尚敬二十九年)に役人たちに対して家譜の編修を命じた。


沖縄の歴史206~208頁より

士族出身の五階級役職

竹富島誌 歌謡芸能編 414頁
一位 大首里屋子(うふしゅりうんやく)【カシラシュー】
             浮織冠 紫に金筋入りの八巻帽
二位 首里大屋子(しゅりうんやく)【シヌバシュー】
                       紫八巻帽
三位  与人(ゆんちゅ)【波座真主(ハザマシュー)】
                       黄八巻帽

四位  目差(みざし)【ミザシシュー】赤八巻帽
五位  若文子(わかぶんし)【テーフヌーシュー】
                      青八巻帽

下役名 ・・・・・・仮若文子(かりてぃふぬ)
       ・・・耕作筆者(こうさくひっしゃ)
       ・・・杣山筆者(そもやまひっしゃ)
       ・・・仮杣山筆者(かりそもやまひっしゃ)

竹富島誌 歌謡・芸能編 414頁より

浮世はこの世

h3.5.18土
浮世はこの世。自分が生まれ育ち動いている世界である。
江戸時代でもなければ徳川時代でもない。自分が今現世で生きている世界である。現代社会である。この生きている自分は男として女性に恋を覚え自分から能動的に女性に対してぐんぐんと能動を発して動くのである。その主人公は自分である。世間に名をとどろかせて、正々堂々と名乗って、自分が好きな女性にぶつかる。この意志こそ恋の氏神が守ってくれる。氏神は自分の先祖の守り神である。西表島・辺鄙な山島、未開の島。その西表島の祖納(そない)という村に見初めた可愛い娘と恋の仲にはまりこんでいる。一世一代この娘を自分の生涯の嫁として自分は結婚をすることにしている。何がなんでもあの村のカマドーマーの事が忘れられない。生命をかけてこの女の子と自分の生涯の道連れとして行きたい。だから舟浮村のあの子の住んでいる町へ行くのです。
見事な恋歌である。男はこの位のことをしないと嫁はもらえない。真剣さが必要である。
 なーに、女はいくらでもいるさ。星の数程いるさ。と呑気に構えていると、とんでもない不覚をとる。男ってのは能動的にぐんぐんと決めた女性に対して積極的に愛を表現をしないと取り残されてしまう運命を背負っている宿命である。
女性だっておなじ事。受け入れ態勢を万全に整え。積極的に使命をかけて生命をかけて女らしさをつくり家系の勤めを充分に支える力を発揮できる気構えがなければ人生の価値がなくなる。
 何千年、何万年と続いた男女の世界で男が果たすべき姿、女が応じる姿は今まで続いている。
 この世の男の能力を発揮する”恋の氏神”は私である!と詩う恋慕の情が浮舟村のカマドーマーに迫る男の心意気がある殿様節は誰か作詞して誰が作曲したのだろう。男女の機微。一途に恋する女性への求愛の情が滲み出ている。
 人間はいくら年を重ねても男女の壁を越えられない。その分バランスをとること。これが大事な生命力の原動力であると思う。
 真功さんの一考を聞いてみたい。よろしくどうぞ。

村・部落の役職名と階級

①世持役(ゆむちやく)
↳②田補佐(農業責任者)
↳   
③組頭(ふんがしゃー)出勤人員総責任者
    ③村補佐(むらぶさ)接待準備係
    ③中男(なかす)人員整備係

②筑(ちくー)役(上納係)
↳②筑小(しこま)(役人の籠夫)
↳③佐事(接待係)→④大女頭(ふうぶなじ)御用布係
  ③女頭子(ぶなじなー)
  ③所役(とぅくっろやく)通信係→④山補佐(やまぶさ)下役

竹富島誌 歌謡・芸能編415頁より

平民出身の五階級役職名

一位 親座主 ウザヒシュー 最高役職位
二位 白佐  シルサー   助役にあたる役職位
三位 親雲上 ペーチン   俵三〇俵を献納して進級。
              黄色の八巻を賜る。
四位 筑登之 チクドゥン  俵四〇俵を献納して進級。
              赤色八巻を賜る。
五位 赤頭  アーシェ   俵五〇俵を献納して進級。 
              青色の八巻を賜る。
赤頭は、人頭税の他に八重山を管轄していた真壁殿内の手を経て、首里王府へさらに米五〇俵を礼石として納付した者に与えられる位である。
             
竹富島誌 歌謡・芸能編 415頁より

(無題)ばやー

*無題だったので書き出しをタイトルにした
ばやー竹富島や西塘作ってぃ あんりーる 敷多盆ぬ中な本歌、中羽、引き羽って引き羽ぬ前後ぬ行な賢くさや睦ぐみと勝さってあんゆ。
うぬ睦みってあんじゅ言葉(クトゥバー)や、うるまま西塘様ぬ作わしる我(バヤー)が守り来ーる うつぐみ うりど 会め名前やりってへーごさらー嬉さだるゆ。
うつぐみってあんじゅことーや 協力ってぃあんじゅ団結ってあんじゅさんゆ。
うぬ協力ぬ左ぬ字や足すプラスぬ字ゆ長い長いってぃ書いてみつてぃ右側

郷友会

1994. h6.10.4
一昨日も郷友会、昨日も郷友会、今日も郷友会、明日も郷友会、明後日も郷友会といったぐあいに、郷友会の会務に関する事務に専念している。
毎日郷友会のことに熱中している。一昨日から明後日までの道程を記してみよう。
 1、一昨日の十月一日、土曜日

※記録はここで止まっている

2018年6月26日火曜日

犬と香炉について

蟷螂の斧(とうろうのおの)694頁から 民話

昔、犬は三本足で生まれて来た。歩くことが不自由で、食物をさがし廻るのに大変困難した。
 ある日、神様がお通りになりましたので、犬は大変喜んで三本足の不自由さを申し上げました。
「できますれば、もう一本足を下されば自由に歩いて食を求める事ができます。どうぞあと一本の足を神様の力で恵み下さい」
と申し上げました。
 神様は早速四本ある香炉をお呼びになり、
「貴方は足三本でも不自由はない。充分に貴方の役目を果たせるから貴方の足は犬さんにやった方が良いと思う」
 香炉は神様の言う事を聞き入れ、早速一本の足を神様に差し上げました。
 神様はこの足を犬にやりました。
 犬はそれから自由に歩くことができました。
神様から戴いた足を大事にして小便をする時には神の下さった足を濡らしては神に対して失礼を思いまして片足を高く上げて小便をするようになったそうです。   

六つの村を建てた六人の酋長


〇塩川殿(バイヤオン) 徳之島 旅の神
〇久間原発(クマ―ラオン)山の神
△新志花重(ナージオン・サージオン)水の神
△幸本節瓦(コントゥオン)節の神
〇他金殿(ハナックオン)海の神
〇根原神殿(ウーリャオン)屋久島

晴明(シンミン)御嶽 マイヌオン
国仲(フィナ)御嶽(オン)

人頭税


人頭税制度は首里王府によって、1637年(寛永十四年)から実施され、1902年(明治三十五年)まで、二六六年間にわたって両先島(宮古・八重山)の農民を苦しめた悪税制度であった。

納税者対象年代 一五歳から五〇歳までの男女

人頭税の免税者
㋑士族免税者 九百八十一人(内 男、九百十三人 女、三十人)
㋺特殊免税者 頭主・首里大屋子・与人・蔵元筆者・諸医学者等
  第一種免税者
   大阿母・掟阿母・佐事阿母・村筑
  第二種免税者
   老人・介抱人・二子母・身体障害者等
  第三種免税者
   婦人は妊娠時から出産を経て二ケ年間は
   子供養育のため免税。
   また男子四人、男女五人産んだ者は多子の免税となった。
㋩平民の免税
   親雲上・筑登之・赤頭等の夫婦は免税。

1994.h6.7.19

2006.1.4の頃

1994.h6.7.19火

6/5 波照間郷友会 大森で


6/6 川崎、大谷宅 幹事会
   クリスぺプナー



6/4 宇野昌 常任顧問推薦


    新役員挨拶状


7/5 テルちゃんに誕生日レタックス

6/17金 花城文雄→電話 3438 電話会社のteltel


6/22 郷友会引継ぎ 大谷宅7:00


6/23  ビデオ

     私欲をむさぼる時代