2018年6月27日水曜日

浮世はこの世

h3.5.18土
浮世はこの世。自分が生まれ育ち動いている世界である。
江戸時代でもなければ徳川時代でもない。自分が今現世で生きている世界である。現代社会である。この生きている自分は男として女性に恋を覚え自分から能動的に女性に対してぐんぐんと能動を発して動くのである。その主人公は自分である。世間に名をとどろかせて、正々堂々と名乗って、自分が好きな女性にぶつかる。この意志こそ恋の氏神が守ってくれる。氏神は自分の先祖の守り神である。西表島・辺鄙な山島、未開の島。その西表島の祖納(そない)という村に見初めた可愛い娘と恋の仲にはまりこんでいる。一世一代この娘を自分の生涯の嫁として自分は結婚をすることにしている。何がなんでもあの村のカマドーマーの事が忘れられない。生命をかけてこの女の子と自分の生涯の道連れとして行きたい。だから舟浮村のあの子の住んでいる町へ行くのです。
見事な恋歌である。男はこの位のことをしないと嫁はもらえない。真剣さが必要である。
 なーに、女はいくらでもいるさ。星の数程いるさ。と呑気に構えていると、とんでもない不覚をとる。男ってのは能動的にぐんぐんと決めた女性に対して積極的に愛を表現をしないと取り残されてしまう運命を背負っている宿命である。
女性だっておなじ事。受け入れ態勢を万全に整え。積極的に使命をかけて生命をかけて女らしさをつくり家系の勤めを充分に支える力を発揮できる気構えがなければ人生の価値がなくなる。
 何千年、何万年と続いた男女の世界で男が果たすべき姿、女が応じる姿は今まで続いている。
 この世の男の能力を発揮する”恋の氏神”は私である!と詩う恋慕の情が浮舟村のカマドーマーに迫る男の心意気がある殿様節は誰か作詞して誰が作曲したのだろう。男女の機微。一途に恋する女性への求愛の情が滲み出ている。
 人間はいくら年を重ねても男女の壁を越えられない。その分バランスをとること。これが大事な生命力の原動力であると思う。
 真功さんの一考を聞いてみたい。よろしくどうぞ。

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