2018年6月27日水曜日

他金殿(タキドゥン)

竹富島の先住民は恐らく二千数百年前に北進して来た南方系の人々であったことが推測されている。
(山城善三・上勢頭亨編『竹富島』)

 西暦一二七〇年頃、今から七一八年前(平成三年)、竹富島に他金殿という酋長が沖縄本島から氏子集団で初めて渡来し、島の北端に位置する北岬の東方磯な口(一名イシャーグチ)付近に新里組(村)を創建して、そこに「花城井戸(ハナクンガー)」を掘り当てよき飲料水に恵まれたのでそこを生活の根拠とした。
 そこからニ、三十年後になって六酋長時代を迎えた。六か村の土地の配分を希望せず、海の配分を多くした。島の東部「卯・辰・巳・午」の広域な海岸の配分を受けた。そこで自分の領地を守るため新里村を東海岸に近い花城原へ移転、花城の高城という立派な城を築き、城主に収まった。その城跡は今でも残っている。専ら海を愛し漁業に励んだので海の神と仰がれ尊敬されるようになった。

種子取祭の飯初の用水は決まって花城井戸の水を使用する習わしが最近まで続いた。

竹富島の歴史と民俗36頁 亀井秀一著より

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