2018年6月27日水曜日

系図座の創設

一六七〇年(尚貞二年)、向象賢が諸士の公式の座席を改定したとき、士に系図を提出するように命じた。それは士の家柄をはっきりさせるためであった。
諸士に各々家譜を編集させ、一部は糸図座に納め、一部は国王の朱印を捺して各家に保管せしめることにした。
首里・那覇・久米村・泊村に共住する士に対して命じたものであった。

家譜は普通に系図を称し、各家の血統と各人の経歴等を記載するもので巻頭にはその家の始祖以来の血統継承を示す世系図を掲げ、本文即ち記録には各人につき、名前、生死、血縁関係、元服(結婚・出産)叙位、士官等の経歴を年月順に記録してある。

宮古・八重山はおくれて一七二九年(尚敬二十九年)に役人たちに対して家譜の編修を命じた。


沖縄の歴史206~208頁より

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