2018年6月27日水曜日

2008.1.26

野羊山羊の背中に最大限に背負って、フース御嶽(オン)であ◇は前豆(マイド)の畑から必死に歩いている。自分の姿を隠す気持ちで山羊の草が歩く位、擬装していたつもりだったが、チャーンと分かっている正元先生は、山羊の草を背負てくるのは亨君だとわかっていた。
あの農道の十字路近くで説諭されていた時代を思い出すものです。竹富国民学校の最初の前新雄三先生からの薫陶の最初の人、国民学校の一年生が感じきった心の時代がありました。二年生の真玉橋安(まだんばしやす)(女)、三年生の東里善昭の愛情も大変嬉しくいまだに心に残っています。四年生の担任の先生も大変に可愛がってくれた。だけど戦中そかいで亡くなった。敗戦◇あとほんとうの力をつけてくれたのが新先生でした。
山羊の草の私を待ちうけて説諭する位私に眼をつけてくれた新先生は、最敬礼しています。
     
      登校拒否
 一番手の者は私ではなかったでしょうか。
ランドセル、いやふろしきつづみを持て門の所迄進んでいると、母親が追っかけてきて
「トウル―、お前が学校へ行くと、今日の家族は死んでしまうよー!と説き進めてくる。
親の云うことを聞かないと生きられないことは理解していたので、クワを持ってシージャーの畑に連行されたり、マイド、フース、日シャールの畠に出かけた。

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